2020/06/03改定

路線図-1923(大正12)年

採掘した石炭を、大牟田から直接海外へ輸出することを目的に築港された三池港は、1908(明治41)年4月に開港しました。三池港には、干潮時でも船渠内の水位を一定に保つため、パナマ運河と同様の閘門(こうもん)が設けられ、これにより大型船の来航が可能となりました。

1909(明治42)年10月には、米国・GE社製電気機関車8両を港湾荷役用として購入し、三池港構内の一部を電化して使用を開始しました。

大正初期の三池炭鉱では、大浦坑、宮浦坑、勝立坑、宮原坑および万田坑の5坑が主力坑でしたが、大浦坑、勝立坑、および宮原坑は終堀が迫っており、また、万田坑および宮浦坑においても坑道が長くなってきたため採炭効率が悪くなっていました。そこで、万田坑の西約2.5キロメートルの位置に、新たな坑口となる四山坑が計画されました。

四山坑の開鑿は1918(大正7)年4月に着手され、1920(大正9)年5月には、三池炭鉱専用鉄道の本線上に四山停車場が新設されました。これに伴い、三池港にあった従来の四山停車場は、三池港停車場と改称されました。
その後、1923(大正12)年3月に四山坑が開鉱し、これに合わせて、同年12月には本線から四山坑へと連絡する専用鉄道が敷設されました。

一方、1923(大正12)年5月には七浦第一坑が閉坑し、同年11月には七浦停車場が廃止されています。