駅概要

万田坑は、宮原坑の南約1.5キロメートルの位置に開設された、国内最大規模の竪坑です。
1897(明治30)年11月23日に第一竪坑の開鑿(かいさく)に着手し、1902(明治35)年11月27日から出炭操業が開始されました。1908(明治42)年には第二竪坑櫓(やぐら)も完成し、1927(昭和2)年から1945(昭和20)年の間では年平均86万トンもの石炭を出炭する、三池炭鉱の主力坑となりました。
1951(昭和26)年、採炭効率の低下により万田坑での採炭が中止され、第一竪坑およびその付帯施設は解体されましたが、第二竪坑については、坑内水の排水や坑内管理のために1997(平成9)年3月の三池炭鉱閉山まで維持されました。
現在でも、第二竪坑櫓およびその巻上機室、職場(修繕工場)等の施設が保存されており、1998(平成10)年5月1日に国の重要文化財に指定され、2015(平成27)年7月にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

一方、三池炭鉱専用鉄道としての観点では、万田駅は大きく二つに分けられます。
一つは坑口における石炭積出拠点としての万田駅です。万田坑で採掘された石炭を石炭積出港等に運搬するため、万田坑には駅拠点としての鉄道施設、側線、引き込み線等が設置されました。
もう一つは、人員輸送のための万田駅です。戦後、三池炭鉱専用鉄道では炭鉱マンを集団社宅から坑口まで輸送する従業員輸送が行われており、1951(昭和26)年、万田にもホームが設置され通勤列車の運行が開始されました。また、1964(昭和39)年8月から1973(昭和48)年7月にかけては、地方鉄道(三池鉄道)の駅としても営業され、一般旅客も利用することができました。なお、万田駅のホームは万田坑の北東約500メートルの位置にあり、当地の住所が福岡県大牟田市桜町であることから、「桜町駅」とも呼ばれます。
当Webサイトでは、石炭積出拠点としての万田駅を「万田(坑)駅」、人員輸送としての万田駅を「万田(桜町)駅」として区別しています。

絵はがきに写る万田坑。電気機関車が写っているので1912年の電化後であることが分かる。手前に8本もの線路が敷設されている。(大牟田驛前山田屋製絵はがき、管理人所蔵)
万田坑付近 全体地図

万田(坑)駅

万田(坑)駅は、1900(明治33)年12月の宮原~万田間の開通時に設置された駅です。1905(明治38)年10月には万田~四山(後の三池港、以下同じ)間が開通し、三池炭鉱専用鉄道の最終的な路線規模が完成しています。

第一竪坑から揚炭した石炭は坑内トロッコによって選炭場へ運ばれ、そこで選別された石炭が石炭車に積載されて三池炭鉱専用鉄道によって石炭積出港へと運ばれていきました。

1938(昭和13)年8月には、万田(坑)駅から大きく東側にカーブを描くように万田採土線が敷設されました。これは、使わなくなった坑道を埋めるための土砂を万田山から取り出し、その土砂を運搬するためのものです。万田山から土砂を取り出す際にはダイナマイトが使用されていたため、万田採土線は採土所の東側にあった火薬庫まで敷設されていました。

三池炭鉱専用鉄道は、1912(明治45)年7月に万田~四山間が、1916(大正5)年1月に七浦~万田間が電化されていますが、1939(昭和14)年2月には万田(坑)駅に電車庫が開設されており、万田(坑)駅は鉄道施設としても重要拠点であったことが窺えます。

万田坑 拡大地図
万田坑ステーション内に設置されている模型(以下2枚も同じ)。万田坑の南西側から俯瞰する。
万田(桜町)駅付近から万田坑を望む。
万田(坑)駅を発車し、宮原方面へ向かう石炭列車。

以下の写真は、2020(令和2)年5月31日に万田坑跡にて撮影したものです。

万田坑のシンボル的存在となった、第二竪坑櫓と巻上機室。
第二竪坑坑口へと続くトンネルには坑内トロッコ軌条が延び、炭函が置かれている。
トンネルの内部にはケージが残されている。
第二竪坑の坑口。深さは274メートルあったが、閉山時に選炭場の土砂を利用して埋められている。
職場(修繕工場)へと延びる坑内トロッコ軌条。
職場(修繕工場)の入り口。ローカル線の終着駅のようである。
この建物は、建設当初は坑内換気用の巨大扇風機が設置されていたが、1951年の万田坑閉抗後は、1階を更衣室、2階を坑内監視室として利用された。
汽缶場跡付近から第二竪坑櫓を望む。青い空と錆びた炭函のコントラストが美しい。

万田(桜町)駅

1951(昭和26)年9月、三池港~万田間における従業員輸送の開始に伴い設置されました。ホームは万田坑の北東約500メートルのところに位置しており、当地の住所が福岡県大牟田市桜町であることから「桜町駅」とも呼ばれました。また、三池鉄道に関する文献において「桜町線」と記してあるものがありますが、これは三池港~万田間に運転されていた通勤列車や旅客列車の運転系統を指していると考えられます(東京都区内で環状運転を行う近距離電車の運転系統を「山手線」と呼ぶのと同じ意)。

ホームは1面1線で、ホームの東側に線路がありました。しかし、ホームの西側の縁にも白線の跡が残されているため、当初は1面2線の構造であったようです。

1977(昭和52)年10月1日当時の万田(桜町)駅時刻表
万田(桜町)駅全景。画面右の歩道が本線跡である。奥に見える山が万田山。(2020/05/23撮影)
宮原側から万田(桜町)駅を望む。500m先に万田坑の竪坑がそびえる。(2020/05/23撮影)
万田坑側から見た万田(桜町)駅全景。(2020/05/23撮影)
現地に設置してある説明板の写真(2020/05/23撮影)
上の説明板にある写真とほぼ同じ場所から撮影。(2020/05/23撮影)
ホームの一部は損壊し、ホーム上には石が積まれている。(2020/05/23撮影)
ホーム西側の縁に残る白線。(2020/05/23撮影)
ホームから宮原方面を望む。画面左の歩道(本線跡)の先には諏訪川鉄橋が今も残る。(2020/05/23撮影)
万田坑の第二竪坑櫓付近から見た万田(桜町)駅跡。(2020/05/31撮影)

沿革

1897(明治30)年11月23日第一竪坑の開鑿(かいさく)に着手
1898(明治31)年08月24日第二竪坑の開鑿に着手
1900(明治33)年12月三池炭鉱専用鉄道 宮原~万田間が開通
1902(明治35)年11月27日出炭操業開始
1905(明治38)年10月11日三池炭鉱専用鉄道 万田~四山(後の三池港)間が開通
※ 三池港の竣工は1908(明治41)年。
1908(明治41)年01月4トン坑内電車の使用開始
1909(明治42)年03月三池炭鉱専用鉄道 万田~三池港間で運炭開始
1912(明治45)年07月・三池炭鉱専用鉄道 万田~三池港間が電化
・電気機関車(20トン級B形)の使用開始
1916(大正5)年01月三池炭鉱専用鉄道 万田~七浦間が電化
1938(昭和13)年08月万田採土所線の敷設
1939(昭和14)年02月万田に電車庫を開設
1951(昭和26)年09月・万田坑と三川坑が統合
・三池港~万田間の従業員輸送開始
1954(昭和29)年06月万田第一竪坑櫓(やぐら)を解体
※ 櫓は北海道の芦別鉱業所へ移転
1964(昭和39)年08月地方鉄道・三池鉄道線として営業運転開始
1973(昭和48)年07月地方鉄道・三池鉄道線としての営業運転終了
1976(昭和51)年02月万田坑の煙突を解体
1984(昭和59)年10月従業員輸送終了
1997(平成9)年03月三池炭鉱の閉山により第二竪坑の坑口閉鎖
2015(平成27)年07月08日ユネスコ世界文化遺産に登録

所在地

  • 万田坑跡
  • 万田(桜町)駅跡