2020/06/03改定

路線図-1905(明治38)年
※ 三池港開港前であるため、海岸線は当時のものと異なります。

採掘した石炭は鉄道によって横須浜(大牟田川河口)へと運ばれ、いったん艀(はしけ)に積まれて有明海を渡り、口之津港(長崎県南島原市)へと移送されました。そこで大型船に積み替えられて、上海や香港などの海外へと輸出されていました。これは、有明海が遠浅で干満差が大きいため大型船の来航が難しく、大牟田・荒尾の沿岸には大きな港がないためでしたが、とても非効率であり輸送コストもかかりました 。

一方、1903(明治36)年には三池炭鉱の出炭量が初めて100万トンを超え、官営払い下げ当時の2倍にまで上昇しましたが、他の炭鉱との競争も激化してきたため、石炭輸送の効率化と輸送費削減が大きな課題となりました。

そこで、大牟田から直接海外へ輸出できるよう、大型船が来航できる港を大牟田に築港することとなりました。1899(明治32)年、当時三井鉱山合名会社の専務理事であった團琢磨は、築港場所として四山(よつやま)沖を選定し、1905(明治38)年に着工しました。

新港の着工に伴い、同年10月、万田まで開通していた三池炭鉱専用鉄道は四山(後の三池港)まで延伸し、この延伸によって三池炭鉱専用鉄道における本線としての最終的な規模がほぼ完成しました。

なお、新港が「三池港」と命名されるのは1908(明治41)年4月のことですので、終着駅の名称はこの時点ではまだ「四山」と呼ばれていました。