1879(明治11)年2月、大浦坑から横須浜まで馬車軌道による石炭輸送が開始されましたが、出炭量の増加に伴い本格的な鉄道輸送が検討され、三池炭鉱が官営から三井組に払い下げた翌年の1890(明治23)年、七浦坑から横須浜まで鉄道敷設工事が着工され、1891(明治24)年1月に開通、同年11月より蒸気機関を動力とした鉄道輸送が開始されました。
この年に稼働していた坑口は、大浦坑、七浦坑および宮浦坑の3坑で、年間出炭量は59万8千トンでした。馬車軌道が開通した1879(明治11)年の年間出炭量は9万8千トンでしたので、わずか13年で出炭量は6倍以上に増加しており、本格的な鉄道の敷設が急務であったことが窺えます。
当時、釜石鉱山局より移管された英国・シャープ スチュアート社製蒸気機関車1台と、米国より輸入したボールドウィン社製蒸気機関車2台の計3台の蒸気機関車が導入され、七浦に「平原(ひらばる)機関庫」が設置されました。