駅概要

妙見(みょうけん)駅は、従業員輸送を目的として1953(昭和28)年に設置されました。三池港~万田間における従業員輸送が開始されたのは1951(昭和26)年9月ですので、妙見駅は従業員輸送が始まった後に設置された駅となります。

駅の北側には炭鉱マンの独身寮「松葉寮」が、また、駅の南側には三池炭鉱の病院「万田分院」があったため(現地に設置してある説明板による)、当時のホームは若い炭鉱マンや通院のための利用者で賑わっていたのではないでしょうか。

駅の東側にはアソニット工場がありました。アソニット工場とは、1963(昭和38)年11月9日に発生した三川坑炭塵爆発事故によって犠牲となった方の遺族に対し、就職先として斡旋するために設立された工場です。アソニット工場は1995(平成7)年10月に閉鎖され、現在も数棟の建物が残っています。
アソニット工場の南東側には妙見社宅があり、さらにその周辺には多くの炭住があったようですので、この場所に駅を作ったメリットの大きさが窺えます。

1977(昭和52)年10月1日当時の妙見駅時刻表

沿革

1953(昭和28)年三池港~万田間の従業員輸送用として設置された
1964(昭和39)年08月地方鉄道・三池鉄道線として営業運転開始
1973(昭和48)年07月地方鉄道・三池鉄道線としての営業運転終了
1984(昭和59)年10月従業員輸送終了

現在の状況

妙見駅は、レールと枕木を使用して作れられた2面2線の駅ですが、下りホームは雑木林の一部と化し、上りホームは朽ち果てています。特に、上りホームの原万田側はホームの骨組みであったレールだけが残っている状態ですので、保存状態はあまりよくありません。

現地に設置してある説明板の写真(2020/05/17撮影)
妙見駅全景(2020/05/17撮影)
万田側から駅を望む(2020/05/17撮影)
上りホーム側から万田方面を望む。右に見える建物は、アソニット工場跡。(2020/05/17撮影)
下りホーム(画面左側が原万田方面、右側が万田方面)(2020/05/17撮影)
下りホーム。画面右にうっすら映っているコンクリートの段は、付近の道から駅へアクセスするための階段。(2020/05/17撮影)
上りホーム(画面左側が万田方面、右側が原万田方面)(2020/05/17撮影)
上りホーム端には勾配票が立つ。(2020/05/17撮影)
上りホームの原万田側は、レールの骨組みだけが残る。(2020/05/17撮影)
芸術的に朽ち果てる木は、北海道の廃線の景色を想像させる。(2020/05/17撮影)
ホーム上には、PC枕木が無造作に置かれていた。(2020/05/17撮影)
駅の中心辺りから原万田方面を望む(2020/05/17撮影)
原万田側から駅を望む(2020/05/17撮影)
西原駅付近から線路を跨いできた高圧鉄塔は、ここから東へと線路から離れていく。(2020/05/17撮影)
1997(平成9)年頃(閉山後)に撮影した妙見駅の上りホーム。雑草が生い茂っているが、今とは少し雰囲気が異なる。
駅は自然に囲まれ、鳥のさえずりも聞こえる。ここを石炭列車が走っていたとは思えない。(2020/05/17撮影)
今や、自然に囲まれた静かな駅跡となった。(画面右側が万田方面)(2020/05/17撮影)
駅の東側にあるアソニット工場跡。建物は朽ち果てており、不気味な雰囲気である。(2020/05/17撮影)

所在地