2020/05/10改定

電源車「デ」

化学工場内では、気化した可燃性物質にパンタグラフと架線の間に生じる火花が引火して爆発する恐れがあることから、鉄道の架線敷設が出来ません。そこで、無架線区間でも機関車の走行ができるよう、蓄電池(バッテリー)から機関車に電力を供給するために生まれたのが電源車「デ」です。
1962(昭和37)年9月に、無蓋車ハコ(車番1・7・9・11)を改造して4両が作られました。
また、20トン級 B形機関車の9~12・14号機が電源車「デ」に対応するための改造を受けています。

リール台車「リル」

先述の電源車「デ」と同様に、無架線区間でも機関車の走行ができるよう、無架線区間にケーブルを伸ばして機関車に電力を供給するための車両です。
1956(昭和31)年3月に無蓋車ヒト(車番6・7)を改造して2両が作られました。
また、20トン級 B形機関車の3・4・7・8号機がリール台車「リル」に対応するための改造を受けています。

客車「コハ100形」

1948(昭和23)年に東芝にて製造されました。従業員輸送用の客車として導入され、地方鉄道時代には一般旅客を乗せて走りました。1984(昭和59)年10月の従業員輸送廃止まで使用されていました。

製造時期1948(昭和23)年
製造所東芝
最大長16.83 m
自重21.0 t
定員座席 52 名、立席 64 名
  • コ:客車の重量が22.5トン未満であることを表します。
  • ハ:3等車(現在の普通車)であることを表します。

客車「ホハ200形」

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1996(平成8)年2月11日、三池港から大牟田駅へ向かう路線バスより撮影したホハ201

1950(昭和25)年に日本車輌にて製造された、国鉄のモハ63によく似た車両です。コハ100形と同じく、従業員輸送用の客車として導入され、地方鉄道時代には一般旅客を乗せて走りました。1992(平成4)年4月1日時点では、1両のみ(車番: 201)が休車扱いとなっており、三池港の片隅に長らく留置されていました(写真)。

製造時期1950(昭和25)年
製造所日本車輌
最大長20.162 m
自重24.5 t
定員座席 60 名、立席 100 名
  • ホ:客車の重量が、22.5トン以上27.5トン未満であることを表します。
  • ハ:3等車(現在の普通車)であることを表します。

検重車「検」

写真手前が「検1」、奥が「検2」。

秤量器(ひょうりょうき)の検査のために使用する車両です。秤量器とは、荷物を積載した状態で貨車の総重量を計るための設備です。
検1と検2の2両が在籍しましたが、検1が自重15トン、検2が自重25トンとなっています。

モーターカー

保線用のモーターカーです。以前は水色の塗色でしたが(上写真参照)、近年になって電気機関車と同じマルーン色に塗られていました(本ページのトップ画像参照)。

なお、このモーターカーは、10トン無蓋車ハトと共に三井化学から群馬県中之条町に譲渡され、同町にある旧太子(おおし)駅で保存されることとなり、2020(令和2)年3月24日、トラックに載せられて宮浦駅を巣立っていきました。