2020/05/10改定

15トン級 B形

15トン級 B型機関車は、1908(明治41)年の三池港開港に合わせ、三池港構内船積用電車として購入された2軸の電気機関車です。

1908(明治41)年7月に予備電動機2基と共に6台が購入され、2年後の1910(明治43)年12月に4台を増備。さらに、1920(大正9)年と1923(大正12)年4月にそれぞれ2台の計14台が購入されています。機号は、1号機~14号機まで購入順に付されていたと思われますが、1952(昭和27)年に、3号機~10号機がそれぞれ1号機~8号機と改番され、また、13・14号機は20トン級機関車に改造(31・32号)されています。

15トン B型機関車はL型のスタイルであり、その見た目とスピードの遅さ(1時間定格速度: 10km/h)から、『ガメ電車』や『ガメ』(ガメ=大牟田地方の方言で「亀」の意)と呼ばれていました。また、車体がとても小さいため、運転室への出入り口は設けられておらず、車内には窓から出入りすることとなっています。

現在、5号機(改番後)のみが三川坑跡の敷地内にて静態保存されています。5号機は1908(明治41)年製であり、碓氷峠に電気機関車が導入される4年も前に製造された機関車です(碓氷峠用初代電気機関車EC40形は明治45年導入)。したがって、鉄道文化財級の機関車と言っても過言ではありません。

20トン級 B形

20トン級 B型機関車は、1912(明治45)年の三池港~万田坑間の電化に際して導入された、凸型電気機関車です。
1~4号機はドイツのシーメンス社製であり、特に1号機は「シーメンス号」という愛称で親しまれました。また、5~12号機は三菱造船製、13~16号機は三池製作所製です。1~16号機はそれぞれ1955(昭和30)年頃に運転室部分の拡幅工事を受けており、そのスタイルに変化が生じていますが、15トン級 B型機関車から改造された31・32号機は拡幅工事を受けなかったため、20トン級 B型機関車の原型に近いスタイルでした。なお、この拡幅工事等により自重が20トンから22トンに増加していることから、「22トン級機関車」と表現している文献もあります。

また、50番台を名乗る機関車として、51号機が存在しました。この機関車は、1948(昭和23)年度私鉄割当の電気機関車として納入されたものであり、構内入換に使用されていました。

20トン級 B型機関車は、化学工場内の専用線でも多く使用されました。化学工場内では、気化した可燃性物質に、パンタグラフと架線の間に生じる火花が引火して爆発する恐れがあることから、架線による電化が出来ません。そこで、3・4・7・8号機については、無架線区間でも走行できるように、リール台車(リル1・2)から延びるケーブルによって電源が供給されるよう改造されています。また、無蓋貨車(ハコ1・7・9・11)に蓄電池を搭載した電源車(デ1~4)が登場し、これを連結することによってパンタグラフから電気を供給されることなく走行出来るようになりました。 1962(昭和37)年9月、電源車に対応するための改造が9~12・14号機に対してが実施されています。

9・11・12号機は、2020(令和2)年5月7日の三井化学専用線運行終了時まで現役で在籍し、鉄道界のシーラカンスと言えるでしょう(ただし、9号機は足回りの不具合のため、運行終了時は走行不可となっていました)。また、1号機(シーメンス号)と5号機は、15トン級 B型5号機と同様、三川坑跡の敷地内にて静態保存されています。

45トン級 B-B形

45トン級 B-B形電気機関車は、石炭産出量の増加に伴い輸送量が増大したことに対応して、1936(昭和11)年に運転を開始しました。

17~19号機は、1936(昭和11)年に芝浦製作所にて製造され、また、20~22号機は東京電機と芝浦製作所が合併して発足した「東芝」によって1949(S24)年に製造されました。
これら、17~19号機の前期型と、20~22号機の後期型とは外観が異なります。前期型は、機関車両端のボンネット部が曲線的で丸みを帯びていますが、後期型は直線的で角張っており、前期型と比べて車幅が若干広い造りとなっています。なお、この種の凸形機関車は「東芝標準型」と呼ばれていますが、前期型は東芝発足以前に製作された機関車であることから、東芝標準型の原型と言えます。

一方、機関車性能においては、18~22号機の5台は共通の定格となっていますが、17号機だけは他の5台より定格出力・引張力が高くて定格速度が遅いという「パワー重視型」となっています。

特筆すべきは、20号機は元南海電鉄ED5154号機、22号機は元西鉄宮地岳線ED201号機であり、それぞれ1949年9月、1959年2月に三池炭鉱専用鉄道に譲渡されました。

18・19号機は、2020(令和2)年5月7日の三井化学専用線運行終了時まで現役で活躍し、19号機は同専用線最終列車の牽引機となりました。また、17号機は三川坑跡の敷地内にて静態保存されています。