三池炭鉱専用鉄道が1891(明治24)年1月に開通したときに導入した貨車は、三池炭鉱社の機器課が製造した、木製底落し型の4トン石炭車100両でした。当時は、現代の貨車のような「コキ」や「ワム」といった形式記号は付されていなかったと考えられます。そもそも、このような車両を識別するための表記は、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」第82条にある「車両には、車両の識別等ができるよう必要な表記をしなければならない。」という条文を根拠に設定されていますが、この省令の上位法令である鉄道営業法が制定されたのは明治33年のことですので、三池炭鉱専用鉄道の開通当時は形式記号を付する必要がありませんでした。

1905(明治38)年10月になると、8トン石炭車である ”セヤ” 25両が導入されました。この頃の出炭量は鉄道開通時の2.2倍である年間132万2千トンとなっており、それまで以上の大量輸送を必要としたことが窺えます。

このほか、大正から昭和初期にかけて、7トン石炭車や16トン石炭車も登場しています。

これらを含め、以下に三池炭鉱専用鉄道で主に使用された貨車についてご紹介します。なお、このほかにも多くの貨車が存在しておりますので、順次更新していきたいと思います。

4トン石炭車

先述のとおり、1891(明治24)年1月に三池炭鉱専用鉄道が開通した際に100両が投入された木製底落し形の石炭車です。製造は、三池炭鉱社の機器課となっておりますので、自社製石炭車ということになります。1902(明治35)年には324両まで増備されましたが、1926(大正15)年頃からその数は減少し、1934(昭和9)年まで使用されました。

7トン石炭車

1913(大正2)年に30両が新造され、1935(昭和10)年まで使用されました。1916(大正5)年頃には、最大118両まで増備されました。

8トン石炭車

7トン石炭車のデビューよりも早い1905(明治38)年10月に25両が導入され、1930(昭和5)年までに485両を数えました。

10トン石炭車「セ」

古い石炭車の改造車で、1992(平成4)年4月時点で1両のみ在籍しており(車番: 1026)、「九電ダミー車」と呼ばれていました。

大牟田市新港町にあった九州電力・港(みなと)発電所において、1960(昭和35)年の新設以来、三池炭鉱から採掘された石炭を燃料としてきましたが、オイルショックに伴う脱石油政策の一つとして、1972(昭和47)年5月、燃料が重油に切り替えられました。しかし、オイルショックに伴う脱石油政策の一つとして、1983(昭和58)年4月に燃料を石炭に再転換されています。これに合わせ、1983(昭和58)年1月より、三池港駅から同発電所の引き込み線までにおいて、九電向け石炭列車が運転されるようになりました。

同発電所内の石炭積卸線において、石炭車の移動にキャプスタン(ウィンチの一種で、ロープ等を巻き上げるために水平に回転する装置のこと。)が使われており、そのキャプスタン付近でこの九電ダミー車が使用されたようですが、詳細は現在調査中です。

  • セ:石炭車を表します。

15トン石炭車「セコ」

国鉄の15トン石炭車セム1形を譲り受け、三池炭鉱では「セコ」として1958(昭和33)年より使用しました。増備は1968(昭和43)年まで続きましたが、1992(平成4)年4月1日の時点では車番226の1両のみが休車となっています。

  • セ:石炭車を表します。
  • コ:15トン・16トン・17トンの区別を判別しやすいよう、15(じゅうご)の「ご」が由来と考えられます。

16トン石炭車「セロ」

自社発注車として1934(昭和9)年に登場し、1940(昭和15)年には240両まで増備されました。なお、コークス専用車には3000番台が付されました。1992(平成4)年4月1日の時点では39両が在籍となっておりますが、全車が三池浜駅構内に留置され休車扱いとなっています。

  • セ:石炭車を表します。
  • ロ:15トン・16トン・17トンの区別を判別しやすいよう、16(じゅうろく)の「ろ」が由来と考えられます。

17トン石炭車「セナ」

17トン石炭車「セナ」のルーツは二つあります。一つは、国鉄の17トン石炭車セラ1形を譲り受けたもので、1975(昭和50)年より使用されました。もう一つは、1974年(昭和49年)5月14日に麻生セメントより譲り受けた17トンセメント車ホラ1形を譲り受けて改造したものです。
1992(平成4)年4月1日時点でも344両が在籍しており(うち271両が稼働、73両が休車)、1997(平成9)年3月の閉山まで使用されました。

  • セ:石炭車を表します。
  • ロ:15トン・16トン・17トンの区別を判別しやすいよう、17(じゅうなな)の「な」が由来と考えられます。

30トン無側車「ヒオ」

荷重30トンの控車(ひかえしゃ)で、1992(平成4)年4月1日の時点では1両のみが休車となっています。控車とは、入換作業時に作業員が乗るなど、様々な用途に使用される事業用車の一種ですが、三池炭鉱でどのように使用されたのか、詳細は不明です。

  • ヒ:控車を表します。
  • オ:不明です。

無側車「ヒト」

1992(平成4)年4月1日の時点では既に車籍はなくなっています。2020(令和2)年4月18日現在、宮浦駅車庫の駐車場側に、カバーを被った状態で留置されています。

  • ヒ:控車を表します。
  • ト:下記の無蓋車「ハト」の積載荷重が10トンであるため、「ト」は本貨車の積載荷重が10トンであることを表していると考えられます(ただし、後述の有蓋車「ユト」の積載荷重が12トンであるため、定かではありません)。

10トン無蓋車「ハト」

車番37および152の2両が、閉山後も宮浦駅の留置線に置かれていました。
これら2両は、三井化学から群馬県中之条町に譲渡され、同町にある旧太子(おおし)駅で保存されることとなり、2020(令和2)年3月24日、トラックに載せられて宮浦駅を巣立っていきました。

  • ハ:無蓋車を表します。
  • ト:下記の無蓋車「ハト」の積載荷重が10トンであるため、「ト」は本貨車の積載荷重が10トンであることを表していると考えられます(ただし、後述の有蓋車「ユト」の積載荷重が12トンであるため、定かではありません)。

16トン無蓋車「ハロ」

1992(平成4)年4月1日時点では2両在籍していましたが、2両とも既に休車扱いとなっています。

  • ハ:無蓋車を表します。
  • ロ:積載荷重である16(じゅうろく)トンの「ろ」が由来であると考えられます。

12トン有蓋車「ユト」

1992(平成4)年4月1日時点では3両在籍していましたが、3両とも既に休車扱いとなっています。

  • ユ:有蓋車を表します。
  • ト:不明です。