2020/05/15改定

※ 三井化学専用線は、2020(令和2)年5月7日をもって、運行が終了しています。

2020(令和2)年5月7日に運行を終了した三井化学専用線。三池炭鉱専用鉄道の旭町支線を受け継いだ三井化学専用線は、宮浦駅から仮屋川操車場まで僅か1.8キロメートルしかありませんが、1897(明治30)年2月に旭町支線が開通して以来、123年もの長い年月を過ごしてきました。炭鉱時代の面影を残す宮浦駅の広い構内ですが、運行終了直前はたった数両のコンテナ貨車が行き来するだけとなっていました。
以下、長い歴史を刻んできた宮浦駅の現役最後の様子を記録しました。

駅全体の概要

宮浦駅は、南北に縦長く広がっています。駅の東側には三井化学の工場があり、三井化学専用線で運ばれてきた原料(濃硝酸)は、駅の北端から東へ延びる引き込み線で工場内へと運び込まれていました。
また、駅の南側には車庫が設置されており、非番の電気機関車はここに入庫していました。

図1:宮浦駅配線図(アルファベットは「駅風景」項を、丸数字は「駅の見どころ」項を参照。)

駅風景

図1のA地点にて撮影(脚立使用):第1便として仮屋川を目指す19号機
図1のA地点にて撮影:第4便として仮屋川からコンテナ車を運んできた19号機
図1のB地点より少し南寄りにて撮影:コンテナ車を工場へ運び入れる12号機
図1のB地点にて撮影:工場へコンテナ車を運び入れ、宮浦駅へ帰ってくる11号機
図1のC地点にて撮影(脚立使用):大牟田川を渡る19号機牽引の第4便
図1のD地点にて撮影(脚立使用):第4便として宮浦へ帰ってきた19号機
図1のD地点にて撮影(脚立使用):図2の茶色線に停泊する20t電機
図1のD地点にて撮影(脚立使用):コンテナ車を工場へと運び入れる11号機
図1のE地点にて撮影(脚立使用):宮浦石炭記念公園から見た宮浦駅全景
図1のE地点にて撮影(脚立使用):駅全体を俯瞰できるため、車両の動きをよく観察することができる

一日の流れ

2020(令和2)年4月における三井化学専用線の運転は、宮浦駅~仮屋川操車場間の2往復と、宮浦駅から工場引き込み線への入換作業のみとなっていました。以下、具体的な一日の流れをまとめました。

  1. 午前8時、駅事務所周辺で職員の方々のラジオ体操が始まります。ラジオ体操後の朝礼が終わると、昨晩から紫線(図2参照、以下同じ)に停泊している45トン級 B-B形電気機関車(以下、「45t電機」という。)の始業点検が始まります。5分ほどの始業点検が終わると、45t電機は一旦駅の南側へ機回しされ、その後、進行方向を変えて黄線を北上し、東泉町2号踏切辺りで一旦停車します。再度進行方向を変えて、昨晩から水色線に停泊しているコンテナ車(4両程度)と連結されます。
  2. 水色線からは仮屋川へ向かう本線で出ることができないので、列車は駅事務所の南側付近まで、45t電機の推進によりバックします。
  3. 午前8時20分頃、閉塞が取れ次第、列車は進路を北へ変えて黄色線を進み、緑線を渡って赤線へと進入。第1便として仮屋川を目指します。
  4. 午前8時35分頃、第2便として45t電機が仮屋川操車場から帰ってきます。赤線を南下して東泉町2号踏切を過ぎ、緑線を通って黄色線へと渡ります。その後は、多くの場合は駅事務所付近で停泊しますが、日によっては黄色線の線状で停泊することもあります。
    ※ 45t電機は18号機と19号機の2台が稼働していますが、定期点検等のために機関車を交代させる場合は、このタイミングで行われます。
  5. 午前9時20分頃、第2便として帰ってきた45t電機が、第3便として仮屋川へ向かいます。
    停泊していた場所から北上し、黄色線~緑線~赤線へと進んで本線へ出ます。
  6. 午前9時35分頃、45t電機が4両ほどのコンテナ車を牽いて宮浦駅に帰ってきます。赤線~緑線~黄線へと進み、編成全体が黄色線に収まったところで停車します。
  7. 45t電機は、牽いてきたコンテナ車を切り離して駅の南側へ機回しされた後、紫線へ戻ってパンタを下ろし、翌日まで停泊します。
  8. 45t電機が駅の南側へ機回しされている頃、茶色線に停泊している20トン級 B形電気機関車(以下、「20t電機」という。)が動き出します。工場内は、防爆のために架線が敷設されていないので、20t電機は仮屋川方に連結した電源車から電力を供給されて動きます。
    茶色線から駅事務所の南側付近までバックした後、水色線を通って東泉町2号踏切付近まで北上します。その後進路を南へ変え、黄線に停まっているコンテナ車と連結します。
  9. 20t電機は、これからコンテナ車を工場へと運び入れますが、工場への運び入れは1両ずつ行われます。まずは、コンテナ車1両目だけを牽き、青線を通って工場へと向かいます。10分ほどして青線を通って宮浦駅へ戻ってきた20t電機は、コンテナ車2両目を牽いて再度工場へと入っていきます。この作業を繰り返し、すべてのコンテナ車を工場に運び入れたら、駅事務所付近まで戻って停泊します。ここで午前中の動きは終了です。
  10. 午後は、空になったコンテナ車を工場から引き出す作業が行われますが、時間はその日の業務の進捗によって変動するようです。最近はコンテナ車の量数が4両と少ないので、作業は午後の早めの時間に終了します。
    コンテナ車の引き出しは、20t電機が青線を通って工場内からコンテナ1両ずつを推進し、水色線に押し出します。全て終わったところで、20t電機は茶色線に戻って翌日まで停泊します。

    これで、一日の流れが終了です。
図2:使用線路説明図

駅の見どころ

  • 貨車秤(はかり)線(図1の①)
    宮浦駅はかつて、宮浦坑で採掘された石炭を積み出すための駅でした。そのため宮浦駅には、貨車に積んだ石炭の重さを計るための貨車秤線が備え付けられています。貨車秤線は詰所と秤量器から構成され、今でも当時のまま残されています(2020(令和2)年5月8日現在)。
  • 留置される電気機関車(図1の②)
    部品取りとして、3台の電気機関車(20号機(45トン級 B-B形)、2号機(20トン級 B形)、4号機(20トン級 B形))が車庫手前の側線に留置されています。いずれも、三池炭鉱で採掘された石炭を運んでいた機関車です。特に真ん中の2号機は、1911(明治44)年にドイツのシーメンス・シュッケルト社から輸入したものであるため歴史的価値の高い車両ですが、風雨に晒されているため、保存状態は良くありません(2020(令和2)年5月8日現在)。
  • 検重車(図1の③)
    検重車とは、秤量器が正しく計測しているかどうかを確認するための車両で、検1(自重25トン)と検2(自重15トン)があります。
    今では出番が無く、三井化学専用線の運行終了時には図1の③の位置に留置されていましたが、その後、図1の②と③の中間あたりに移動されており、外からの観察が難しくなってしまいました(2020(令和2)年5月15日現在)。