2020/05/16公開

「ハト」とは、木製の側板を持つ10トン積み無蓋車です。
1992(平成4)年4月1日時点において、三池炭鉱専用鉄道には9両のハトが在籍(うち、稼働3両、休車6両)していましたが、三池炭鉱にはかつては百数十両のハトが在籍していました。

ハトの正確な製造時期は不明ですが、1948(昭和23)年に旧国鉄から三池炭鉱が譲り受けたものと、元々三池炭鉱専用鉄道で使用していた無蓋車を改造してハトとなったものがあり、いずれも戦前(明治~大正期?)に作られたものだと思われます。

三池港構内に留置されていた頃のハト37とハト152。(1995/11/26撮影、フィルムの色褪せが酷い)
宮浦駅構内に佇む2両のハト(2009/04/18撮影)

ハトが三池を巣立つ

三池炭鉱が閉山し専用鉄道が三井化学に引き継がれた後も、宮浦駅構内には2両のハト(ハト37およびハト152)が使用されることなく留置してありましたが、群馬県中之条町から三井化学に譲渡の申し入れがあり、ハト2両および保線用モーターカーの計3両が同町にある旧太子(おおし)駅で展示されることとなりました。
旧太子駅は群馬鉄山の鉄鉱石を積みだしていた駅であり、1971(昭和46)年5月1日に廃止されましたが、2013(平成15)年から復元工事が施され、2018(平成30)年4月からは一般公開されています。

三井化学専用線の運行終了まで2ヶ月を切った2020(令和2)年3月24日、いよいよハト2両と保線用モーターカーが旅立つ日の朝がやってきました。空は快晴です。
宮浦駅構内には早朝から大型クレーン車と大型トラックが入り、移送の準備が進められました。

朝9時過ぎ、まずはハト152にロープが掛けられ、クレーンのブームが空高く伸ばされます。ゆっくりと線路から車輪が離れたハト152は、3メートルほど空中に舞い、すぐ横に止めてあったトラックの荷台へと移されました。

次はハト37です。こちらもゆっくりと宙に浮き、別のトラックの荷台に搭載されました。

最後に保線用モーターカーの移送作業が行われました。私は下の写真を撮影した後すぐに現地を離れましたが、保線用モーターカーは恐らくハト37と同じトラックに搭載されたものと思われます。

ずっと見てきたハトが宮浦から居なくなるのは寂しく感じますが、旧太子駅での展示は貨車にとって良き第二の人生であり、ファンにとってはとても嬉しいことです。
旧太子駅では、他の無蓋車と共に展示されているそうです。いつか必ず、再会しに行きたいと思います。

【参考】旧太子駅所在地