2020/05/23公開
三池炭鉱専用鉄道から三井化学専用線へと引き継がれ、三井化学専用線の運行最終日まで稼働を続けた45トン級 B-B形の18号機と19号機。両機は、どちらも1937(昭和12)年2月に芝浦製作所で製造され、三池へとやってきました。言わば、双子のようなものです。今年(2020年)で製造から83年が経っており、その間にはいくつかの改修も受けていますが、ここでは、現在の外観の相違を中心に、両機を比較してみました。
機関車の諸元
18・19号機において、その諸元に相違点はなく共通となっています。
18・19号機は、芝浦製作所が昭和10~20年頃にかけて製造した「戦時標準型」と言われる産業用電気機関車です。三池炭鉱専用鉄道には6台の45トン級 B-B形電気機関車が在籍し、その製造時期から大きく2つのグループに分類されます。17~19号機が前期グループ、20~22号機が後期グループです。前期グループでは18・19号機が共通諸元(表1参照)、後期グループでは20・22号機が共通諸元となっていますが、18・19号機と20・22号機には車体幅に大きな違いがあります。18・19号機は幅2,450 mm、20・22号機は幅2,740 mmとなっており、これは、18・19号機は自社発注車であるのに対し、20号機は南海電鉄から、22号機は西鉄からの譲渡車であるため、製造時の発注仕様の違いであると思われます(ただし、20号機における南海電鉄への車籍は書類上のみ)。
三井化学専用線に引き継ぐ2両の機関車の選別に当たり、共通諸元を持つ機関車とする方が部品の共用や部品繰り、または整備管理の面において融通し易く、また、車体幅は狭い方が建築限界等の面において有利です。
以上により、18号機と19号機が、三井化学専用線に引き継ぐ機関車として選別されたのではないかと考えられます。
外観上の比較
共通の諸元を持つ18・19号機ですが、その外観に違いはないのでしょうか。
一見すると違いはほとんどなく、実際にどちらか単体で見たときは車体番号を見ないとどちらの機関車か見分けることは困難です。しかし、細部にはいくつかの相違点が見受けられます。
※ 以下文中において、「公式側」とは1エンド(前位)を左側にしたときの側面を言い、「非公式側」とは1エンド(前位)を右側にしたときの側面(公式側の反対の側面)を言います。
- 車体側面
運転室入り口の窓に注目してみると、18号機は一枚窓であるのに対し、19号機は窓に仕切りがあることがわかります。
次に、車体の側梁部分に着目してみましょう。18号機の2エンド側(写真2の左側が2エンド側)における側梁の下にシリンダのようなものが装備されていますが、19号機にはこれがありません(写真9参照)。
- 運転室周り
運転室周りをよく観察すると、19号機にのみ、運転席の窓と窓の間に前照灯が一灯式だった時代のステーが残っています。
次に、屋根上に注目してみましょう。運転室の屋根と、屋根上機器を乗せる台座の間に間隙が設けてありますが、19号機の方が18号機より間隙が僅かに広いことが分かります。そのため、僅かながら19号機の方が面長なイメージです。また、写真4の屋根上に注目すると、公式側の屋根上機器の形状が異なっていることが確認できます。
さらに、車体側梁の部位において⑥と書かれたすぐ上に蓋のようなものがあります。これは砂箱の蓋ですが、その把手が18号機と19号機で前後逆に取り付けられていることが写真3から分かります。よって、おそらく蝶番(ヒンジ)も18号機と19号機では反対側についていることになります。つまり、18号機と19号機では、砂箱の蓋が反対側に開くということが言えます。
- フロント周り
フロント周りには、大きな違いが一つあります。スカートに着目してみましょう。警戒色の黒→黄→黒→黄→・・・のパターンが、18号機と19号機では反対になっています。
次に、操車係がステップに立った際に捕まる把手ですが、18号機の非公式側はポール状の把手であるのに対し(1エンドおよび2エンドとも)、18号機の公式側および19号機(全ポジション)はコの字型の把手となっています。
- 台車
台車に大きな違いは見受けられません。しかし、細かいことを言えば、台車の中心付近には「昭和12年 汽車会社 東京工場」の銘板がありますが、18号機の2エンド側台車にだけ、その銘板がありません(写真10は非公式側から撮影したものであり、公式側は未確認)。
この他にも、細部を見ていけば相違点がまだあると思いますし、運転室内部や機器室内部にも違いがあるのかも知れません。また、運転に際しても、個体の「癖(クセ)」があると思いますので、実際に運転されていた機関士の方に伺ってみたいものです。