新コーナー「一枚の写真から」を公開しました
三池炭鉱専用鉄道、三池炭鉱、大牟田・荒尾等に関する一枚の写真を基に、それが撮影された背景や被写体の詳細を考察するページを設けました。これから少しずつアップしていきたいと思います。
一枚目の写真として、三池炭鉱専用鉄道にJRの12系客車が入線した時の写真をアップしました。
→ こちらからどうぞ
三池炭鉱専用鉄道、三池炭鉱、大牟田・荒尾等に関する一枚の写真を基に、それが撮影された背景や被写体の詳細を考察するページを設けました。これから少しずつアップしていきたいと思います。
一枚目の写真として、三池炭鉱専用鉄道にJRの12系客車が入線した時の写真をアップしました。
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12系客車の入線記録、ありがとうございました。ぜひとも乗ってみたかったです。昔話を書いてみました。ご笑読くださればさいわいです。
railwayさま、
こんにちは。
三池鉄道の記事、大変興味深く拝見しました。
炭住や桜町トンネル、懐かしいです(^^)
桜町トンネルは、天井が低く、昼間でも薄暗くて、夜には電球がボンヤリ灯るだけの、いかにも妖怪が出てきそうなトンネルでしたね。
高校時代に友人が桜町近くに住んでおりましたので、よく自転車で桜町トンネルを通って遊びに行っておりましたが、私も恐る恐る通っていました。
今思えば、写真ぐらい撮っておけばよかったと後悔します。
railwayさまの記事を拝読して、閉山前の三池港や四山付近の情景が頭の中に描かれ、古き良き時代を懐かしく思い出しました。
当時の写真が他にも残されておりましたら、ぜひ拝見したいです。
記事中で弊サイトをご紹介頂き、有難う御座いました!
(貴ブログのコメント欄に投稿しようとしたところ、なぜかエラーとなってしまいましたので、とりあえずこちらにコメントさせて頂きました。)
EZ traveler様、
コメントがエラーになってしまうとのこと、たいへん申し訳ありません。試しに自分で投稿してみましたが上手く行きました。何かの不具合と思われます。申し訳ありません。
大牟田には三川小学校のときの担任の先生がまだお元気でお住まいです。もう、90歳を越えておられます。当時のことを、別のブログに書いております。ご笑読下さればさいわいです。
railwayさま、
こんばんは。
三川小学校の記事のご案内、有難う御座いました。
先ほど拝見し、コメントさせて頂きました(今度は無事に投稿できました!)。
私は父の勤務先が船津にありましたので、三川や三里は身近に感じます。
貴ブログ中に「学区は三池炭鉱の三川鉱、四ツ山鉱を中心に、三井関連の三井三池港務所、三井三池製作所、東洋高圧などに勤める父兄が大部分を占めていた。」とありますが、ちょうどその頃の東洋高圧には、後の三池工業野球部監督の原貢さんが勤めてあったのではないかと思います。
三池争議の舞台となった三川坑は、いまは週末だけ解放され敷地内を見学することができますが、三池争議のような大事件があった場所とは思えないほどひっそりとしています。
大牟田も元気を取り戻してほしいです。
別ブログの方もご訪問&書き込みまで頂きありがとうございました。
三井工業高校の甲子園初出場、初優勝のことはよく覚えています。銚子商業-三池工業の決勝戦で、予想を覆して三池工業が勝ちました。私はちょうど千葉県へ越してきたばかりの頃で、町へ買いものに出かけたら、偶然にも銚子商業の千葉駅から県庁までの「準」優勝パレードをみました。千葉の町のあちこちに用意された「祝賀幕」には、「準」の文字が手書きで追加されていました。みんな名門銚子商業の優勝を予想していたのでしょう。後年ロッテへ入った木樽投手の時代です。
テレビでは三池工業の盛大な初優勝パレードの模様が放送されており、三池の優勝をお祝いしたものです。東洋高圧はノンプロ界では強豪でしたね。父も職場の野球チームで対戦したことがあるそうです。
railwayさま、
対戦相手の銚子商業は優勝候補校であったのに対し、三池工業は初出場の無名校でしたので、まさか三池工業が優勝するとは思わなかったんでしょうね。
実は、三池工業高校は私の母校です。
ある日、何かの授業で、決勝戦9回のラジオ放送の録音を聞いたことがあります。三池工業の優勝が決まった瞬間の歓声には、鳥肌が立ちました。
名門三池工業高校のご出身なのですね。甲子園初優勝時は、千葉から家族あげて声援を送っていました。
西原駅の画像で四ツ山付近から撮影された「世界遺産・・軌道敷跡」の看板ある写真、素晴らしいですね。この高圧送電線はまだ現役でしょうか(九電?が使っている?)。
軌道敷にアップダウンができないよう、築堤を建設して敷いたと聞いた覚えがあります。万田付近から国鉄乗越しのためにずっとレベルを保って建設されたのでしょうか。また、レールはなくなっていますが、マクラギはコンクリ製のようですね。廃止直前までよくメンテされた鉄道だったことがうかがえます。さすがです。
railwayさま、
こんばんは。いつも有難う御座います。
西原から万田方面へ延びる高圧送電線は現役のようです。鉄道敷も価値あるものですが、鉄道敷を跨いで立ち並ぶ高圧送電線のある風景も、他ではなかなか見ることができない景色なので、貴重な光景だと思います。
西原や原万田付近で、昔撮影した写真に勾配票が映ってないか探してみたんですが、残念ながら映っていませんでした。目で見た感じですと、西原から原万田にかけてはそんなに勾配を感じませんが、西原駅ではその高さが地上レベルであるのに対し、そこから原万田方面へ約500mのところで鹿児島本線をオーバークロスしますので、もしかしたら若干の勾配があるのかも知れませんね。とは言え、railwayさんが仰いますとおり、炭鉱鉄道はその性格上なるべく勾配がないよう設計されて線路敷設されておりますので、全線を通して急な勾配はないようです。
ちなみに、宮浦駅構内は、北側から南側にかけて5‰の上り勾配となっています。
毎日の返信で済みません。
2011年に新幹線が開業した年、大牟田に行ってきました。その際、大牟田の町、特に三池鉄道の遺構などを訪ねて来ました。少し長いですが、宜しかったらご覧下さい。
<鉄道のページ>*文章だけです。
http://mgsclub.fan.coocan.jp/railway323.htm
<全線完乗と乗り歩きの旅> *旧ブログで、荒尾付近です。
(数ページに分かれています/画像中心)
https://air.ap.teacup.com/railroad/433.html
railwayさま、
こんにちは、いつも有難う御座います。
大牟田旅の記事、じっくり拝見しました。
宮脇俊三さんの鉄道紀行文を読んでいるようでした!
一番驚いたのは、国鉄荒尾駅連絡線のレールが残っていることです。記事に書かれておりますように、国鉄荒尾連絡線跡は道路になっていますが、いかにも昔は線路であったことが解るようなカーブを描いています。しかし、そこに今もレールが残っていたことはビックリしました。今度、見に行ってみようと思います。
松屋の閉店は衝撃でした。私の祖父母は昔、新栄町にあった三西ストアで魚屋を営んでおり、その後、祖父は、祖父の弟が営んでいた松屋の一階の魚屋に手伝いに行っておりましたので、私が幼い頃はよく松屋に行っていました。松屋の食堂の「洋風カツどん」の味は大好きでしたし、松屋の食堂の階段付近にあった「ぐにゃぐにゃの鏡」でよく遊んでいたことを思い出します。
母親の買い物について行けば、マルショク・井筒屋・松屋・ユニードを巡れるので、屋上のゲームコーナーで遊んだり、階段の踊り場で10円のガムを買って食べたり・・・
大牟田にも、あの頃の活気がまた戻ればいいなぁと思います。