2020/05/10公開後 一部改定

三井化学専用線は、化学薬品の原料となる硝酸を三井化学株式会社・大牟田工場(以下、「三井化学」という。)へ搬入するため、旧三池炭鉱専用鉄道の電気機関車、線路、施設および設備等を活用してその輸送を担ってきました。しかし、出荷元である三菱ケミカル株式会社(以下、「三菱ケミカル」という。)が硝酸の生産を2020(令和2)年4月末で中止したため、三井化学は硝酸の入手先を変更することとなりました。新たな入手先からの硝酸は海上輸送およびトラック輸送によって搬入されるため、2020(令和2)年5月7日の運行をもって、三井化学専用線はその役目を終えました。
三井化学専用線の運行終了は、1891(明治24)年1月から始まった三池炭鉱専用鉄道の長い歴史に完全な終止符が打たれたことを意味します。
同線は旅客鉄道ではないため、大々的に報じられることもなく静かに最終日を迎えましたが、記念すべき最終日の様子をここでしっかり記録しておきたいと思います。

運行終了までの流れ

三菱ケミカルからの硝酸の搬入は、2020(令和2)年5月6日が最終となり、翌7日はコンテナ車の返却だけとなりました。
以下、この両日の具体的な流れを記します。

● 5月6日(水・祝)
【コキ返空】
 三井化学 第1便(宮浦→仮屋川):19号機+コキ5連
 三井化学 第2便(仮屋川→宮浦):19号機単機
 ↓
 JR貨物(仮屋川→大牟田駅):HD300-27+コキ5連
 ↓
 8152レ:ED76 1018+コキ5連

2020(令和2)年5月6日 返空列車編成

【搬入】
 8151レ:ED76 1018+コキ5連
 ↓
 JR貨物(大牟田駅→仮屋川):HD300-27+コキ5連
 ↓
 三井化学 第3便(宮浦→仮屋川):19号機単機
 三井化学 第4便(仮屋川→宮浦):19号機+コキ5連
 ↓
 宮浦入換(午前のコキ搬入):11号機
 宮浦入換(午後のコキ搬出):11号機

2020(令和2)年5月6日 最終の搬入列車編成

● 5月7日(木)
【コキ返空】
 8151レ:EF81 303単機(8152レのための送り込み回送)
 三井化学 第1便(宮浦→仮屋川):19号機+コキ5連
 三井化学 第2便(仮屋川→宮浦):19号機単機
 ↓
 JR貨物(仮屋川→大牟田駅):HD300-27+コキ5連
 ↓
 8152レ:EF81 303+コキ5連

2020(令和2)年5月7日 最終の返空列車編成

【搬入】
 無し

5月6日、最後の入換作業

三菱ケミカルからの硝酸の搬入は、この日が最後となりました。
硝酸が入ったコンテナ車5両は、大牟田駅で8151レからHD300-27に引き継がれ、三井化学へ引き渡すため仮屋川操車場へ進入します。
一方、三井化学からは空となったコンテナ車5両の返却のため、宮浦駅から仮屋川操車場まで19号機が牽引して来ます。
このとき、JR貨物のHD300-27と三井化学の45t級 B-B形電気機関車が顔を合わせるのですが、それもこの日が最後です。
9時30分、5両のコンテナ車を牽いた三井化学の19号機が宮浦駅へ向けて発車しましたが、JR貨物の操車係の方がHD-300のデッキから手を振る姿がとても印象的でした。
宮浦駅へ到着した後、運ばれてきたコンテナ車はすぐに11号機によって工場内へと1両ずつ搬入され、ここで午前中は終了です。

JR貨物の機関車と三井化学専用線の機関車が顔を合わせるのは、これが最後。
19号機の発車を、JR貨物の操車係の方が手を振って見送る。

午後は、13時30分頃から11号機が動き出し、工場内からコンテナ車1両ずつの搬出作業が始まりました。
まずは3両のコンテナ車が運び出され、14時10分、一旦11号機は宮浦駅事務所前へ戻って一休み。その後15時20分、再び11号機が工場内へと入っていきます。
残り2両のコンテナ車を運び出したところで、11号機による全ての入換作業が終了しました。11号機が宮浦駅事務所前に戻る際、力強くて長いタイフォンが鳴らされ、「いよいよ終わるんだな」という実感が湧いた瞬間でした。

最後のコキを運び出し、編成に連結する11号機。
仕事を終えた11号機は、長いタイフォンを鳴らし、駅事務所前へと戻っていく。

見慣れたこの風景も、もう見ることはできない。

5月7日、ラストラン

いよいよ、三井化学専用線の運行最終日を迎えました。
この日、三菱ケミカルからの硝酸の搬入は無いので、8151レはEF81 303(銀ガマ)が単機で大牟田駅へ下ってきました。
宮浦駅では、8時10分頃から19号機の始業点検が始まり、その後、返空としてJR貨物へ引き渡すコンテナ車5連の先頭に機回しされます。

前照灯を点けて始業点検を受ける19号機。
コキ編成の先頭へ機回しされる。
コキ5連と連結した19号機。

連結作業完了後、本線へ出るため列車は推進運転で宮浦駅事務所前付近までバックし、8時21分、閉塞が取れたところでいよいよラストランの始まりです。

本線へ転線するため、駅事務所付近まで推進運転で南下する。いよいよラストランが始まる。
静かに動き出した最終列車。
宮浦坑の煙突に見守られながら、最終列車が本線へと渡る。

仮屋川操車場でコンテナ車5連を切り離し(図1のピンク線上)、8時35分、19号機は単機で宮浦駅へ帰ってきました。この19号機単機による仮屋川操車場から宮浦駅までの走行が、三井化学専用線の最終列車となりました。通常、仮屋川操車場から宮浦駅へ単機で帰って来た機関車は、図2の赤線~緑線~黄線~駅事務所付近と進入するのですが、この日は赤線からそのまま紫線へ直進し、紫線上で停車しました。

仮屋川操車場から無事に宮浦駅へ帰ってきた19号機。
図1:仮屋川操車場全体図

図2:宮浦駅全体図

一方、JR貨物のHD300-27は、9時15分に大牟田駅から仮屋川操車場へ進入してきました。通常は、コンテナ車を牽引してきて、それを青線上(図1参照)で切り離すのですが、この日は三菱ケミカルからの送荷が無いので単機です。しかし、HD300-27の走行ルートはいつも通りで、大牟田駅から鹿児島本線を北上し、図1の赤線~青線を通って北端まで行き、スプリングポイントを渡ったところで黄線を南下、再び向きを変えてピンク線へ転線し、19号機が運んできたコンテナ車5連に連結されました。連結確認後、40メートルほど南下して停車位置を調整し、10時15分頃の出発まで待機です。

単機で仮屋川操車場へやってきたHD300-27。
いつも通り、青線(図1参照)を北上する。
操車場北端でスプリングポイントを渡り、黄線(図1参照)を南下。
ピンク線(図1参照)に転線してコキ5連を連結する。
停車位置を調整し、発車時間まで待機するHD300-27。背後の建物は、大牟田市立白光中学校の体育館。

9時56分、図2の紫線上に停車していた19号機が、茶色線上に停まっている11号機の隣まで機回しされてきました。そして午前10時過ぎ、2台の機関車の前で、関係者の方々による運行終了の記念セレモニーが開かれ、三井化学から三池港物流株式会社 鉄道課の皆さんへ花束が贈られました(三池港物流株式会社とは、三井化学専用線の運行を三井化学より受託していた会社です)。

機回しのため、駅構内を南下する19号機。
この位置で2台が並ぶのは初めての光景。
記念セレモニーのため、機関車の周りに集まる関係者の皆さん。

記念撮影の後、19号機に関係者の方々が数人ずつ乗り込み、図2の水色線上を数百メートルに渡って3往復する「記念走行」が行われました。
そして、19号機は再度図2の紫線上まで機回しされ、パンタグラフを下ろしました。

「記念走行」中の19号機。

また、HD300-27に牽引されて大牟田駅まで運ばれたコンテナ車5両は、大牟田駅構内にてEF81 303(銀ガマ)に連結され、11時50分頃、8152レとして大牟田駅を発っていきました。最後に大牟田専貨に銀ガマが投入されたのは、JR貨物社の粋な計らいか偶然かは定かではありませんが、ファンにとってはとても嬉しいラストとなりました。

最後の8152レ。銀ガマの投入は、ファンにとってはサプライズとなった。

運行終了日の夜。線路の灯火類もまだ点灯しており、普段通りの光景が広がっていた。

運行終了から一夜明けて…

運行終了の翌5月8日、11号機および19号機は昨日の停止位置から動いておらず、東泉町2号踏切および三坑町3号踏切にある門扉は閉ざされたままでした。一方、旭町駅事務所では、什器を軽トラックに運び込む撤収作業が行われており、運行終了の実感が湧く光景が広がっていました。

いつもの定位置に停車している11号機と19号機。木造駅舎の今後も気になるところ。
東泉町2号踏切から宮浦駅構内を望む。頑丈な門扉が開くことはもう無い。